真夏のメリークリスマス
【今日の1枚】馬車の標識、首都ダカールにて
い〜つまでも手を繋いでいられるよな気がしていた〜何もかもがきらめいて がむしゃらに夢を追いかけた〜 ♬
クリスマスといえば、山下達郎のクリスマスイブ、B’zのいつかのメリークリスマス、桑田佳祐の白い恋人達。
お母さんが昔クリスマスで家で流していたのが山下達郎、小学生の時から大好きでいつも聴いていたB’z、お父さんがいつも家とか車の中で爆音で流していた桑田佳祐、クリスマスと言えばこれ。音の記憶ってすごいなぁ〜。聴いたら、その時の記憶とか感覚が蘇ってくるから。
ちなみに、イスラム圏のセネガルはというと、クリスチャンの人がいるとはいえ、特に盛大に盛り上がるわけでもない。でも、微妙に便乗しているところもある。
何にでも便乗しまくる日本人の私が言えることでもないけど……笑
それにしても、ムスリムでクリスマス〜いぇーいー!ってちょっとお祭り気分になれるところ、本当に寛容だなと思う。私は、これでよいのでは、と思ってしまうけれど他のイスラム圏ではきっと違うんやろうな。
最近近所でめちゃめちゃ爆竹の音がして、一瞬銃声かと思って冷やっとする。「クリスマスだから〜!」って。せめて日本のクラッカーくらいにしてくれたら良いのに。きっと年末の年越しの時もバンバンうるさいんやろうなぁ…
そんな爆竹の音を聞きながら今夜は同期のマリアマ(日本人)と美味しいものたちを食しております。クリスマスソングメドレーを聴きながら…
何年後か爆竹の音を聴いてセネガルでのクリスマスの記憶が蘇るかどうがは後になって分かる話。
すき、きらい、すき…すき!
【今日の1枚】おねんねベイビー
セネガルに住んではや一年半…思い返せば本当にいろんな事がありました。その色んなことを記録しなければ、と思いながらもなかなか上手くいかず。
家を出た瞬間から、私の長い一日は始まるわけですが、家を出た瞬間からお向かいの家、両隣の家族に挨拶し、道を歩けば挨拶し、立ち止まって挨拶、の繰り返し。たまに遠い人には手を振ってでかい声で挨拶してわざわざ足を運ぶことは免れてるけど、それでも仲良くしてもらってる人には遠くに見えれば握手しに行く。
そういえば、セネガル生活、1日20…いや、30?50人?にはざらに挨拶していて、もしかしたらその半分は知らん人やったら、初めましての人かもしれない。
こんなことって日本じゃありえんなぁ、と思うと、この挨拶の文化も素敵だなと感じる。
セネガルでは、久しぶりに会った人に対して「ナンモナーラ」=会いたかったよ、I miss you のような言葉を必ず言うけど、面と向かってそんな言葉をかけられるって良いなぁ
日本では親しい友達でも、「久しぶりー!」のあと、「会いたかったよー!」と素直に言える人はどれだけおるやろうか…少なくとも私は、なかなか恥ずかしくて言えない。
日本に帰ったら、ナンモナーラ、言いますわ。
とにかく人との関わりが多いセネガル、特に私が外国人ということもあるけれど、日々関わる人数はとてつもない。名前と顔を覚えるのに必死やし、電話が誰からかかってきたのかも分からないことが多々ある。
「誰ー?」
「俺だよ俺、〇〇学校の先生だよ!」
「はいはいはい。前教えてくれた番号と違うやん!」
「俺番号3つ持ってるから」
みたいなことがありすぎて困る。基本、1人あたり電話番号1-3個とか持っちゃってる。(SIMカードを複数持ってるから)紛らわしい!
挨拶する、会いにいく、電話する、メッセージする。
人と関われば関わるほど、セネガルのことを知り、相手のことを知り、自分たちの違いを知る。その度にセネガルに魅了されて、ここに暮らせるんは幸せやなぁと感じるけど、一瞬で幻滅するほど嫌なこともある。
お金お金うるさいな
私のこと、人間じゃなくてお金として見とるやろ
肌の色だけで判断しないで
リスペクトがない。
ばかにするなよ!
とまぁ…色々あるわけですが。
好きになっては嫌いになり、また好きになり、もうほんまに嫌や、嫌い!!!!
となり、しかし結局のところ、セネガルも、セネガル人も好きやなぁとおさまる。
ジュルジュフ、セネガル
顔見知りの少年とお兄さんが、帰り暗いからと一緒に帰ってくれた。色んな話をして、最後にヨーグルトをくれた。
「君は親切だ!」
優しさの味がします、激甘やけど。
ふたご座流星群
【今日の1枚】最近の夕日はとても赤い。
今日明日はふたご座流星群が見えるということで、屋上にゴザを敷いて寝転がっています。
セネガル時間22:00から見始めて、22:30頃からかなり見えるようになってきた。
いつもよりは少し曇ってはいるけれど、それでも綺麗な星空。日本におる時、オリオン座の周りにあんなに星があるなんて知らんかったなぁ。
オリオン座が埋もれてしまうほどの星の数。
2時間で40個…もっとかな。数は分からないけど、とにかくたくさんの流れ星を眺めています。こうやってスマホをいじっとる間にも流れでいるはず…
ただじーーっと空を見つめる。
馬、ロバ、子犬、ブタの鳴き声
遠くから若者たちのドンちゃん騒ぎの声
トラックの音
バイクの音
馬車の走る音
虫の鳴き声
遠くで犬の鳴く声
思いっきり深呼吸したら、隣の家の馬の糞の臭いが鼻から肺まで入ってくる気がする。
それでも、澄んだ空気は気持ちが良い。
現在23度ほどのはずやけど、外でぼーっとするのはさむくて、長ズボンに靴下、パーカー二枚重ねに、あったかいほうじ茶を片手に屋上にいる。
次、こんなに綺麗な流星群が見られるのはいつかなぁ。その時、この時間を懐かしく思うのかな。
セネガルに来たばっかりの頃も、しょっちゅう屋上に上がって星空眺めてた。1年半ほど前か…。顎が外れそうなほど綺麗な星空、みんなにも見せたくてたまらないけど、こればっかりは無理なんだなぁ。
簡単にスマホでは撮れない、残さない儚くて美しいものが世の中にまだ残っていることに安心する。端末の中で、“映える”ものじゃなくて良い。写真には写せなくても、美しいもの、幸せのかけらって山ほどあるはず…
全身防備しとるから、刺すとこなくて顔面刺してった。蚊め。
人と木
【今日の1枚】クンバのチェブジェン
クンバのご飯はやっぱり1番美味しい。作り方を見ていても、すごく丁寧に作る。魚もお肉もお米もしっかり水で洗う。あとはやっぱり愛情かなー
いつ行っても、久しぶりに行ってもいっつもウェルカムであったかく迎えてくれる彼女の優しさは、本当に救い。
この前、突風で近所の大きなバオバブの木の幹が折れてしまった。
これは去年の写真。
この木の下で近所の子どもたちが遊んだり、大人がアターヤ(お茶)したら休憩したりする。
木は複雑に絡み合っていて、樹齢はかなり長いと思われる。きっと何年もこの地で人々の生活を見てきたんやろうな。
セネガル人にとって、木は生活の一部。暑い日差しを避けるために、必ず一家に1つは大きな木がある。その木になる果実を食べることもあれば、木を切って薪にすることもあるし、木の枝で歯磨きもする。雨が降った時は雨も避けてくれる。(雷が落ちませんようにと祈りながら)
人間たちだけじゃなくて、動物たちもみんな木の下で休憩してる。
それほどこの国の日差しが強くて暑いということなんやけど、でも不思議と暑い日でも木の下はかなり涼しく感じる。(熱風の日は別として)
自然って、ありがたいなぁ。
この木が折れて、また新しく根を生やして大きく育っていくのかな、どうなんやろう。
君たちが大きくなるころには、この木も成長しているはず。
倒れても命を絶やさない大人になってね。
さてさて、この木はいつ回収されるのだろうか。。
(道がふさがれとる)
ヒヤヒヤ
【今日の1枚】ぬいぐるみデコ車
任地の主要な交通手段はロバ車、または馬車、もしくはバイクタクシー。あ、あと徒歩ね
セネガルのバイクタクシーは、「ジャカルタ」と呼ばれている。というのも、バイク(というか原付)のメーカーがジャカルタというらしい。
日本のTOYOTA、HONDA、SUZUKI、MITSUBISHI、YAMAHAを見かけると、すごく誇らしくなる。
それ、知っとる?日本のブランドなんよ。へっへーん、ってドヤ顔で言ってみせる。
どこの国に行っても見かけるのって純粋に嬉しいし、なんだか安心する。
すごいや、日本の技術って。
セネガルの交通ルールはめちゃくちゃで、首都以外で信号を見たことない。追い越しは当たり前。例え二車線であっても、対向車線で平気で追い越すから、車に乗ってていっつもヒヤヒヤする。車間距離は短いし、ぶっ飛ばすし。携帯いじりながらジャカルタぶっ飛ばすし。
子どもが飛び出して来たり、動物が飛び出してくることがあっても、超スピード出してるから止まるのもギリギリ、よけるのもギリギリ。
いっつも冷やっとする。実際、しょっちゅう交通事故は起こっていて、命を落とす人がたくさんいるから、運転テクニックがとかじゃなくて、運でしかないんやろうな。
なんとか交通マナーを改善できんかなぁとか、ちょっと考えていたりするこの頃です。
光り
【今日の1枚】大好きなマリアーマ 泣いて怒って笑って大きくなーれ。
リビングの電気がない生活が始まって2週間?以上か経って、さすがにそろそろ直さないと、と思って大家さんの弟で、いつも何かとお世話をしてくれるイスマイラにちょっと見てほしいと頼んだ。家の中に入れても良いかな、と思える信頼できる人。
彼はダカール大学の修士をとっていて、めちゃめちゃ優秀。ただ頭が良いというだけじゃなくて、生き上手というか世渡り上手?いや、上手いのか。どうなんだろう。
6男3女の9人兄弟の末っ子であり、大家族を繋ぐ役目をしてるなぁと私は日々思っている。大家さんの一家は30人ほどが住んでいる大家族(セネガルは旦那さんの実家で皆で暮らす)で、まぁそりゃあそんだけ人がいれば色んな問題があるわけで。その中で皆と仲良くしている彼は、色んな面で頼られるからいつも忙しそうにしている。末っ子ってこともあって、ものすごくこき使われてるし。
彼が他のセネガル人と違うなーと思うのは、よく人を見ているし察する能力が高い。それでもって、子どもをすごく可愛がって遊び相手をしてあげる。そんくらい優しいからこそ、NOとは言えない男はいつもあっちこっち動き回ってる…うーん。やっぱり生き上手とは言い難い。笑
結局今日も、お兄ちゃんのお店の店番と店じまいを無言で頼まれて、我が家に来るのも遅くなってしまった。そのお兄ちゃんていうのも、セネガルに来てから良くしてくれている大家さんの弟の1人(通称ムッちゃん)なのだが、むっちゃん、ちょっとイスマイラのこと使いすぎよ〜〜〜と思うことも多々ある。むっちゃんも高校の先生でありながら、金物屋のお店始めたり、色んなビジネスに挑戦してみたり、頑張ってんだけどね。
夕暮れ、イスマイラは我が家で暗い中必死に電気回線をいじって直してくれた。脚立がないからイスの上にバケツを置いた超不安定な状態で…
とうとう久し振りに我が家に明かりが戻ってきたーー
わーい!
こんな安心するんや。やっと人間らしい生活ができる。最近あんまり元気が出なかったのは、この暗さが原因やと思われる。笑
色々と頑張ってくれたのに、お金は良いと言ってきた。
いや、君、電気工事で働けるくらいなんやからさ、ここでお金とらないでどうすんのよ。
という思いを込めて払おうとしたけど、受け取れないよーーと帰っていった。
セネガル、お金を要求されるどころか、外国人の私たちはぼられそうになることだって多々あるのに。
えっ今のご好意じゃなくて、お金払う系のサービスやったん?!て後から思うことだってある。
Time is money
とセネガル人に言われ、この国の、この任地の人たちの生活の不安定さを感じた。一件幸せそうやし、食べ物にも困っていないけど、リスクに弱い、もし何か家に災いが起きた時…生活が急変するのは目に見える。
セネガル人が優しくないわけでもケチなわけでもない。友達やからお金はいいよ、って、多分思わない人たちじゃない。それでも守らないといけないものがあって、毎日稼がないといけないから、お金を取るところはとる。
ちょっとくらい助けてくれたってええやん、と思う自分は、やっぱり日本で守られた所でのらりくらり、恵まれた生活を送っている甘たれやなんだと思う。
あっ、でもよくよく考えてみると、、、
セネガル人、よく考えたら、道で車が壊れたら周りの赤の他人が寄ってきてみんなで直したり、手伝ったりして終わったら何事もなかったように帰っていく。
道に迷ったり店が分からない時も、結構遠くまで歩いて連れてってくれる。
結構色んな場面で至れり尽くせり優しくしてもろとるわ。
あれ、やっぱりセネガル人も、お金ばっかじゃいやん。
優しいよ。助け合ってるよ。
やっぱりお金だけじゃないよ。
その絶妙なバランスに戸惑うことは多々あるけども、今日みたいに作業してもらって、お金はいらない、って言われたのが多分初めてやったから、私はものすごく感動した。あと、友達やから、って。
あたしゃ嬉しいよ。ありがとう。
この家族には本当に色んな面でお世話になりっぱなしや。
セネガルが嫌になることも、もう誰にも会いたくなくなることもあるけど、結局いつもセネガル人の優しさに救われる。ほんで、ここで何ができるかなぁと前向きになれる。
お隣のおちびちゃん達のかわいさにも、癒しエネルギーもらいまくりや!
あー、なんかまた明日から頑張れそうやなぁ。